Rukai(ルカイ)とは宮沢賢治の『二十六夜』に登場する爾迦夷(るかゐ)というフクロウの名に因みます。
モノとコトを軽くする
信貴山縁起絵巻 剣の護法童子
『信貴山縁起絵巻』
【山崎長者巻】
今から1100年ほど昔の延喜の醍醐天皇の御代のこと。
山からお鉢が飛んで来ては、長者さまのところにお布施をもらいにきます。
長者は京の南の山崎というところで、朝廷の帝の許しを得て油の商いをして財をなしていました。
その日もお鉢が飛んで来たのに、長者がほおっておいたら、待ちきれなくなったお鉢は、米俵がぎっしり詰まった倉ごと持ち上げ、飛ばして持ち去ってしまいました。長者はびっくりぎょうてん。飛んでゆく倉をおいかけて河内の信貴山へ。
鉢が戻った信貴山には命蓮(みょうれん)というお坊さんがいて、協議の末、命蓮は倉を山に残し、倉の中身(米俵)だけを全て再び長者の元へ飛ばして戻します。
【延喜加持巻】
また一方、都の帝(みかど)は原因不明の病に臥せっていました。そこで、帝の使者が山へやってきて、帝の病気の平癒を求めます。
信貴山の命蓮はは加持祈祷で帝の病を退散させ、その証に剣を全身にまとった護法童子を帝のもとへ遣わします。
護法童子は空を駆け法輪をブンブン回して超高速で京の都へ。そして無事に帝は元気を取り戻しますが、褒美をという帝の使者に対して、命蓮は固くそれを辞退するのでした。
【尼君巻】
でも命蓮には故郷の信濃から姉の尼君がはるばる会いにやって来て、とても嬉しい再会がありました。
信貴山朝護孫子寺と命蓮上人
『信貴山縁起絵巻』は、奈良と大阪の境の信貴山にある朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)に伝わる絵巻。中興開山として信貴山朝護孫子寺の発展の礎を築いた実在の高僧・命蓮上人をめぐる三つの奇跡の物語を描きます。
朝護孫子寺は毘沙門天王の聖地として聖徳太子により創建されたと伝えられる古刹で、毘沙門天は仏と須弥山(しゅみせん)を守護する武神。四天王の代表としての北方を守護しています。
「福」とは、身軽になること
この三つの奇譚に登場する命蓮がしていることは、長者の倉を取り除くことで、滞っていた米(モノ)の流れを良くし、護法童子の剣によって取り憑いていた帝の悩み(コト)を断ち切り、帝を元気にしたことでした。