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「ことほぎ」から始めましょう
日本では古来より、再生をもたらす方法を「ことほぎ」とよんできました。
ことほぎのRukaiは、数時間の直接の対話を通じて、現状をことほぎ*(ほぐす・解す)、次へ向かって変わるきっかけや、取捨選択が分かるきっかけを一緒につかんでゆきます。

西行物語絵巻(萬野美術館本)
路上では五人の子供たちが手に手に曲杖(きょくじょう)をもって打球に興じています。ざんばら髪、縮れっ毛、振り分け髪を元結で束ねる女の子、三角の額頭巾を引き結ぶ男の子など、みんなとりどりの姿格好。左手の生垣の内の庵には西行が座っています。

日本の再生の方法は欧米とは違うのですか?
日本の場合は、伊勢神宮の遷宮に象徴されるように、「新たに立てる、移す、旧を壊す」という循環によって永続を実現しようとしますので、その都度、完璧を目指しがちです。一方、欧米の場合は、完成は滅亡を意味し、循環はしませんので、あえて不足をつくり続けることで維持拡大を図る傾向があります。
再生のときに留意することは何ですか?
「旧」を壊して「新」に向かうときに、一番大事なものだけを取り出して、それを移します。なので、まずは、いろいろ付いてしまったものを取り去る必要があります。絡まっていることの多くは属性的(従来の関係性の中で付加されたこと)なので、そこに注目して「本体」か「属性」かを見極めます。
ことほぎの次に何がありますか?
「ことほぎ」によって物事が解きほぐされましたら、不要なものを「分ける」、「捨てる」、そして次に、全く別な物事と「結ぶ」ことへ向かうと良いと思います。実際に捨てなくても、「ことほぐ」ことで「縁から離れること・縁を結ぶこと」に自在になれると思います。
Rukaiのスタイル
三者の間に
「福」がまわる

信貴山縁起絵巻 剣の護法童子
『信貴山縁起絵巻』
お話
今から1100年ほど昔の延喜の醍醐天皇の御代のこと。
山からお鉢が飛んで来ては、長者さまのところにお布施をもらいにきます。長者は京の南の山崎というところで、朝廷の帝の許しを得て油の商いをして財をなしていました。その日もお鉢が飛んで来たのに、長者がほおっておいたら、待ちきれなくなったお鉢は、倉ごと持ち上げ、飛ばして持ち去ってしまいました。長者はびっくりぎょうてん。飛んでゆく倉をおいかけて河内の信貴山へ。協議の末、倉は山に残り、倉の中身は全て再び長者の元へ飛んで戻ります。
【山崎長者巻】
一方、都の帝(みかど)は病に臥せっていました。そこで、帝の使者が山へやってきて、帝の病気の平癒を求めます。信貴山の命蓮(みょうれん)というお坊さまは加持祈祷で帝の病を退散させ、その証に剣を全身にまとった護法童子を帝のもとへ遣わします。護法童子は空を駆け法輪をブンブン回して超高速で京の都へ。そして無事に帝は元気を取り戻します。褒美をという帝の使者に対して固くそれを辞退する命蓮。
【延喜加持巻】
でもちゃんと命蓮には故郷の信濃から姉の尼君がはるばる会いにやって来てくれて、それはそれは嬉しい再会がありました。そして、お鉢のおかげで信貴山の倉には命蓮と尼君が生きるために最低必要なものだけはありましたので、それでもう充分なのでした。
【尼君巻】
信貴山朝護孫子寺と命蓮上人
『信貴山縁起絵巻』は、奈良と大阪の境の信貴山にある朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)に伝わる絵巻。中興開山として信貴山朝護孫子寺の発展の礎を築いた実在の高僧・命蓮上人をめぐる三つの奇跡の物語を描きます。
朝護孫子寺は毘沙門天王の聖地として聖徳太子により創建されたと伝えられる古刹で、毘沙門天は仏と須弥山(しゅみせん)を守護する武神。四天王の代表としての北方を守護しています。
三者の間を「福」がまわる
この三つの奇譚に登場する山(命蓮)と里(長者)と都(帝)という三者に流れる「能」と「福」。それぞれに自分自身のできることをすること【能】で、三者の間を嬉しいこと【福】が流れてゆくことを物語っています。
「福」の流れ

*「ことほぎ」を受けた方ではなく、解決をよろこばれた方よりお支払いただくカタチです。
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三者とはこんがらがっている人、Rukai、解決をよろこぶ人の三者です。
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「ことほぎ」の対象は現在こんがらがっている人です。
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その方とは別に「ことほぎ」による解決をよろこぶ人をお立てください。(ご自身でもOKです)
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ご希望の「ことほぎ」をお申込みフォームからご連絡ください。
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「ことほぎ」の日程をご相談します。
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こんがらがっている人とお会いして、状況を解(ほぐ)します。(Rukai)
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こんがらがっている人がご満足された時点で、解決をよろこぶ人より「お支払い」をお願いします。
